四谷怪談。そしてお岩は幽霊界の最強のアイコンになった。

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東海道四谷怪談」といえば日本でいちばん有名な怪談であり、その主人公のお岩を知らない人はいないだろう。でも、その原作の「東海道四谷怪談」の話しの内容をぜんぶ知っているという人はそれほど多くはないと思う。ほとんどの人が映画で観たとか、子供のころに子ども向けの読み物で読んで知ったといったところではないか。それというのも実はこの「東海道四谷怪談」、江戸時代後期に歌舞伎の演目として鶴屋南北によって書かれたわけだけど、まともに上演すると10時間近くもかかり、そのストーリーも登場人物が複雑にからみあっている超大作だったりする。現在、ぼくたちがよく知っている「東海道四谷怪談」は、そこからお岩と民谷伊右衛門の話しだけがひとり歩きして、現在に至るまで、映画や演劇、小説、漫画と、さまざまな形に姿を変えてきた。いわば、お岩と伊右衛門は二百年近くの時を経ても衰えない生命力をもったキャラクターなのである。そんな最強のキャラクターを生み出した「東海道四谷怪談」はどのようにして生まれたのだろうか?

江戸時代の後期、歌舞伎は寄席に人気を奪われていて落ち目だった。特にひどかったのが夏で、当時の芝居小屋は今と違ってエアコンなんてものがなかったから、お客さんだって何時間も芝居小屋にこもっての観劇は楽なものではなかった。

そんな客入りの悪い夏でも、大入りになるような人気演目として期待され、満を持して公開されたのが、人気作家、鶴屋南北による話題の新作「東海道四谷怪談」だったのである。

「東海道四谷怪談」は、ごぞんじのように、自分の欲を満たすことしか考えないサイテー男の民谷伊右衛門と、そのサイテー男のために、いきなり不幸のどん底に突き落とされ、ついには死んで恐ろしい怨霊となるお岩をめぐる話であるけれど、鶴屋南北はこの物語に、まさにジョージ・ルーカスがいわゆる“神話的法則”にしたがって「スターウォーズ」をつくっていったかのように、強力なヒット原則を盛り込んでいた。

じゃあその強力なヒット原則とはなにか?それは3つあった。

まずひとつ。「東海道四谷怪談」は、江戸時代の国民的ドラマというべき「忠臣蔵」のネガとして書かれたということ。「忠臣蔵」といえばごぞんじのように、不公平な裁きによって虐げられた浪士たちが力を結集して最後は勝つという勧善懲悪の物語。しかもそれは“仇討ち”という、江戸時代の人たちが最も心を動かすフォーマットの中で、「忠臣蔵」というタイトルが示すように、“忠義”といったこれまた人を感動させる強力テーマがな推進力となっている物語である。

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では、そのネガとして書かれた「東海道四谷怪談」はどんな物語だったのか?お岩と民谷伊右衛門をめぐる怪談話については今さらいうまでもないので割愛するが、この民谷伊右衛門、元塩治家の家臣という設定なのである。歌舞伎の「忠臣蔵」ファンならごぞんじのように、歌舞伎では「忠臣蔵」は「仮名手本忠臣蔵」とされ、その時代は室町時代に置きかえられ、登場人物は吉良上野介は高師直に、浅野内匠頭は塩冶判官高定へといったように、太平記の登場人物に置きかえられている(実際に起きた討ち入り事件を、そのまま劇にすることはお上から禁じられていたのだ)。

で、民谷伊右衛門は塩冶家の家臣(つまりは赤穂藩の家臣…)であるけれど、主君の敵討ち誓った義士ではなく、むしろ仇討ちなどする気はさらさらない不義理な家臣である。その伊右衛門に孫娘のお梅を嫁がせたいとたくらんで、邪魔者である伊右衛門の妻のお岩に毒薬を飲ませた伊藤喜兵衛は、高師直側(つまりは吉良側の…)の人間だ。孫娘が恋患いをするほどに惚れている伊右衛門に嫁がせたいという思いには、孫娘可愛さゆえにというところもあるけれど、“敵方”の動静を探りたいという、よこしまな気持ちもあったりする。そんなふうに「東海道四谷怪談」は忠臣蔵を裏返したような設定の中で、勧善懲悪どころか、まったく真逆に“悪”をど真ん中にすえた物語として書かれた。しかも「東海道四谷怪談」を注意深く読んでいくと、この物語もまた、何者かによって父を殺されたお岩と、やはり何者かによって許嫁を殺された妹のお袖が、仇討ちを決意することではじまる物語であることがわかる。「忠臣蔵」という江戸時代の国民的ドラマを徹底的に換骨奪胎してつくられた悪の物語。それが「東海道四谷怪談」なのである。

ふたつめは、お岩には実際のモデルがいたということ。「東海道四谷怪談」が生まれるよりも二百年も前に、四谷左門町の田宮家に嫁いだお岩という女性がいた。このお岩という女性は下級武士だった夫の暮らしを健気に支えた評判の女性で、その死後も伝説化された、いわば“伝説の聖女”のような女性だった。そのお岩を鶴屋南北はこともあろうに「東海道四谷怪談」の主役に“抜擢”して、物語の中で不幸のどん底に突き落としたのである。

そしてみっつめは、そんな伝説の聖女、お岩の顔を(女の命である顔を…)、毒薬でめちゃくちゃに崩壊させて、誰も見たことがない恐ろしい化物に仕立てあげたことである。

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つまり、鶴屋南北は、忠臣蔵という当時の国民的ドラマを徹底的に換骨奪胎してつくった悪の物語の主役として、民衆のあこがれの存在だった伝説の聖女を蘇らせ、江戸最強の幽霊にしてしまったのである。スキャンダラスな、あまりにスキャンダラスなことを仕掛けたのである。これが刺激を求めてやまない江戸っ子たちにヒットしないわけがない。いうまでもなく空前のヒット作となり大成功をおさめた。そんな「東海道四谷怪談」は平成の世に至ってもなお、蜷川幸雄や京極夏彦をはじめとした現代のさまざまな作家をインスパイアする生命力をもった稀有な古典として独自のポジションに立っている。それは鶴屋南北の大胆不敵な挑発が今もなお光を失っていないといえるのだろう。

さて、蛇足ながらつけ加えておくと、幽霊界の最強のアイコンであるお岩は、そのようにして1825年の江戸の町で誕生した。そして、興味深いことにそれはイギリスでフランケンシュタインが生まれてから七年後のことであり、ドラキュラが生まれる一年前のことである。世界の西と東で同時期にこれら最強のお化けキャラ生まれたことは、はたしてたんなる偶然なのだろうか?そうとは思えない。じゃあ、なんでなんだ?と聞かれても困るけれどね…

 

 

2016-07-14 | Posted in ニッポンばんざい!No Comments » 

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