洛中洛外図屏風、永徳によって可視化された都市のエネルギー。

十四世記のイタリアではじまったルネサンス以来、西洋画は一点透視図法をセオリーとしていたけれど、二十世紀になってピカソのキュビズムによってそれは否定された。いわゆる芸術のアバンギャルド時代の幕開け。でも、はなっから一点透視図法なんてものがなかった日本美術は、“現代人の目”で見ると、わざわざアバンギャルドなんて定義づけるのが馬鹿馬鹿しくなるほど自由で大胆で、その最たるものが洛中洛外図屏風ではないだろうかとボクは思う。洛中洛外図屏風、わかりますよね?そう、黄金の雲の間に見え隠れする京都の町を鳥瞰的に描いた、なんとも豪華絢爛なあの絵のことです。
洛中洛外図屏風のような中世の都市を描いた鳥瞰都市絵画は西洋にもあった。また、日本の洛中洛外図屏風のルーツもちゃんとあって、それは中国の「清明上河図」であるといわれている。つまり洛中洛外図屏風のような絵は決して日本のオリジナルではないけれど、ただ、都市全体をすっぽりと黄金の雲で覆ってしまう鳥瞰都市絵画というものは日本だけのものなのだ。古くから日本の文化は、まずオリジナルが大陸から渡ってきて、それが日本流にアレンジされて、独自のものに姿を変える。茶道や生け花、陶芸、扇子、建築、書き言葉、あげるときりがないけれども、それは現代のたらこスパゲッティにいたるまで、なんでも日本流にしてしまうところは、まさに日本のお家芸というべきものだ。で、洛中洛外図屏風の黄金の雲に話を戻すと、この雲がなんともニクいのですねぇ。
そもそもなんで絵全体を雲で覆わなければならないのか?しかも黄金の雲である。絵に雲や霞を描き込むのは「すやり霞」といって古くから大和絵の技法としてあった。イメージしやすいものを上げると、一枚の絵の中で右から左へと物語が進んでいく絵巻物がありますよね?あの絵巻物で場面が代わるところに「すやり霞」が描かれた。そしてまた、洛中洛外図屏風が屏風絵であったということも、黄金の雲につながったのだろう。つまりインテリアなわけで、だから写実性よりも装飾性が優先され「すやり霞」の技法を大胆に取り入れてあの豪華絢爛な黄金の雲が誕生したというわけだ。
洛中洛外図屏風の世界観をいちばんゴージャスに演出しているともいえるこの雲、実は絵師にとっても、すごく“使い勝手のいい雲”だったりする。それというのも洛中洛外図屏風は京の都を描いているわけだけど、実際にすべての建物を描いたら絵はとてつもなく巨大なものになってしまう。だから、嵐山とか清水寺とか桂離宮とか、いわば京の都のランドマーク的なものはちゃんと描いて、どうでもいい町の建物は、実際は三十軒ほど建物が並んでいる町だとしても一軒ぐらいしか描かず、あとは大胆にばっさりと省く。でも、そんなに省いちゃったら京の都の絵としておかしくなるんじゃないの?と思いますよね。ご安心あれ。実はここで黄金の雲が威力を発揮する。大胆に省いたところは雲で隠してしまうのだ。そんなふうにこの雲でどうでもいいところはごまかしながら、同時に絵全体のバランスが整えられるというわけなのである。
そして、それだけではない。この黄金の雲こそが、絵全体に大きな流れのようなリズムを生み出している。洛中洛外図屏風は現在、百点ほどその存在が知られているけれど、なかでもその最高峰というべき、狩野永徳が描いた洛中洛外図屏風の“黄金の雲効果”は突出しているといえるだろう。
狩野永徳といえば、名門狩野派の中に突然変異的に現れた天才絵師といったところだけど、じゃあ、その永徳の名前を一躍有名にしたものはなにかというと、ほかでもない、この洛中洛外図屏風だったりするんですね。永徳二十三歳の作。応仁の乱によって焦土と化した京の都が復興して、ふたたび活気を取り戻した頃に描かれたものだ。つまり永徳の洛中洛外図屏風はまさに京の都の復活の象徴でもあったのである。そんな特別な洛中洛外図屏風にふさわしく永徳が描いた黄金の雲は、なんとも、絶妙なバランスで描かれている。

ちなみに冒頭にふれたようにこの時代の日本美術には一点透視図法なんてものはなかったから、洛中洛外図屏風に描かれたその建物や人物たちはすべて同じ角度の視点から見下ろしたように描かれている。ひとつの視点から街を見下ろしたのではなく、いわば絵師の視点が描かれたものに合わせて画面の中を自由に移動しているかのようなのだ。ことに永徳の洛中洛外図屏風は、黄金の雲のリズム感が見事ゆえに、雲の間に現れる、細密にかつ軽やかに描かれた建物や人物たち(なんとその数2479人!)が、そのリズミカルな黄金の雲の視覚効果と相まって実にいきいきとしているんですね。それは、まさに永徳の鳥のように雲の上を自由に疾走していく視点が、ひとつひとつのシーンを軽やかに切り取りながら京の都の空を飛んでいくかのようなのだ。
なんていうか、いうなれば永徳が描いたこの黄金の雲が、京の都の活気という、本来なら目に見えないエネルギーのようなものを“可視化”しているのですね。だからこそ、それ以降に流行り物のように描かれた多くの洛中洛外図屏風とは違って、永徳の洛中洛外図屏風は伝わるものが違うのである。どうです?永徳の黄金の雲。とてつもなくニクいニクい雲だと思いませんか?

狩野永徳「洛中洛外図 右隻」

狩野永徳「洛中洛外図 左隻」

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