虫めづる姫君/元祖虫ガールの恋はいかに?

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むかしむかしのこと。とある国の、地方高官のやんごとなき姫君の物語である。両親にいたく可愛がられて育ったこの姫君はとても聡明だったけれども、ひとつだけ周囲を困らせることがあった。それは彼女が虫が大好きだということ。バッタ、かまきり、かたつむり、ヤスデ、オケラ、ヒキガエル……と、庭に現れるありとあらゆる虫をはじめとした小動物を愛してやまなかった。なかんずくお気に入りだったのが毛虫で、自分の手のひらに毛虫をもそもそと這わせながら、姫君は、こんなことをおっしゃられる……

烏毛虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ
(ほら、毛虫って思慮深い顔していて奥ゆかしいでしょう?)

そんな姫君に仕えている侍女たちはもう気味が悪くてどうすればよいのかわからない。また、この姫君は自分の容姿にもいたって無頓着で、やんごとなき身分でありながら、お歯黒もつけず、眉もそらず、袴も男がはく白い袴をはいているのだ……

さて、ここまで読んでピンときた人は、古典文学が好きな人か、もしくは「風の谷のナウシカ」のコアなファンではなかろうか。この変わり者の姫君は、平安時代に書かれた堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり)に「虫めづる姫君」として登場する姫君であり、また、宮﨑駿監督が「風の谷のナウシカ」を着想するにあたって、この姫君を参考にしたことは、知る人ぞ知ることだったりするのだから。

堤中納言物語は、正確にいえば平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた物語を編んだ物語集である。作者は不明。また、堤中納言物語とされているけれども、堤中納言なる人物が出てくるわけでもないし、編まれている物語もバラバラで、関連もまとまりもない。そんな、ちょっと謎めいた物語集の中でもとりわけて異彩を放っているのがこの「虫めづる姫君」なのである。それというのも、毛虫が大好きな姫君という主人公のインパクトもさることながら、物語(といっても、ごく短い物語だけど、)自体も、ちょっと人を喰ったようなものだったりするのだ。
物語の前半では、この姫君がいかに変わっているかが語られる。「みんな蝶はきれいといって愛でるけど、もともとは毛虫だったんだから、見た目ばっかりで見ているみんなのほうが浅はかだわ。もっと物事の本質を見ないとだめね」とか、「みんなが当たり前のように着ている着物だって、絹でしょ?あれだって蚕がつくったものでしょ?」といった、この姫君ならではの言い分や、身分の低い子どもたちに虫のアダ名をつけて、手下のようにして、虫をつかまえてこさせることとか、そんな姫君に対する世間の陰口なんかが語られていく。
そして物語の後半になると、右馬佐(うまのすけ)なる人物が登場し、この姫君にリアルな作り物の蛇をプレゼントして驚かそうとしたり、なぜか女装して姫君の様子を覗きにいったりと、ちょっかいを出す。この右馬佐は上流貴族の御曹司で、なかなかのプレイボーイっぽいのだけど、それゆえに普通の女には飽きたらなくなったのか、どうやら姫君に気があるっぽいのである。こっそりと姫君の姿を覗き見ながら、「口もとはかわいい感じだ」とか「ちゃんと化粧をしたらきれいになるのにもったいない」とか、そんな値踏みのようなことをしている。
そんなふうな展開になれば、当然、読んでいるほうだって、お、この先どうなるのだろう?って期待せざるをえないのだけど、この物語、なんと、いきなり「二の巻にあるべし」という言葉とともに終わってしまう。「二の巻にあるべし」は今の言葉でいえば「続きは二巻で」ということになる。しかし、だ。この物語には二巻なんてものは存在しない。盛り上げておきながら、人を煙に巻いたかのように、ぷつりと終わってしまうのである。しかも、ありもしない続きを告げて。

いったい、この物語はなんなんだろう?と思っていたところ、あるとき、たまたまテレビでオオムラサキの蛹から蝶へ変態していくシーンを観ていて、はたと思い至った。「虫めづる姫君」。このけったいな物語は昆虫のメタモルフォーゼを擬人化した物語なのかもしれないと。毛虫をこよなく愛し、自分の見た目をまったく気にしない姫君自身が毛虫のメタファーのような存在であって、右馬佐なる異性の登場に触発されて、蛹へ、そして美しい蝶へとメタモルフォーゼしていくことを暗示させる物語。そうであれば「続きは二巻で」とは、作者の「美しい蝶に変身したあとのことはあなたの頭の中で描いてみなさい」みたいなメッセージなのかもしれない。人は見かけで判断してはいけません。自然界の美しい蝶をご覧なさい、……そんなことを伝える物語。

ま、本当はどうかわからないけれど、ボク的にはそれでなんとなく腑に落ちた。
話はそれるけれども、芋虫や毛虫が蛹の中でどうなるか知ってますか?蛹の中の幼虫は動かなくなってやがて長い脚や、大きな羽が生えてきてじわじわと蝶になっていく。そう思っていませんか?それは完全に間違いではないけれど、じわじわではなく、ひとつ劇的な変化があるんです。なんと、幼虫は一度溶けて黒い液体になってしまう。その黒い有機物のスープから触覚や、長い脚や、大きな羽などのパーツができあがっていくんです。これ、スゴいことだと思いませんか?一度溶けるんですから。液体になっちゃうんですからね。
なぜ個体のままではなく液体になるのか?生物学的なところはボクにはわからないけれど、やっぱりそれは一度ゼロにして、まったく違ったものへと体をつくりなおすためなのだろう。蛹は羽化するためのシェルターというよりも、第二の新しい生命を生み出す子宮のようなものなのかもしれない。侍女たちを困らせたあのやんちゃな姫君も、そんな蛹の中で劇的に生まれ変わって、十二単をまとった世にも美しい蝶となって、右馬佐なる輩の手の届かないような空の高みへと羽ばたいていくのだろうね。

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2018-11-06 | Posted in 本のことNo Comments » 

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