タラブックス「夜の木」の小宇宙。
ああ、美しかったなぁ。いや、なにが美しかったかっていうとですね、先日、板橋区立美術館でやっていた「世界を変える美しい本、インド・タラブックスの挑戦」を観てきたんですね。タラブックスっていうと、手すきの紙や、手刷りのシルクスクリーン印刷、手作業の製本など、時代と逆行したかのようなアナログな生産体制で、手仕事が光る美しい絵本を世に送りだしている南インドの小さな出版社だ。代表作は「夜の木(The Night Life of Trees)」。インドの先住民族ゴンド族のアーティスト、シャーム、バーイー、ウルヴェーティの3人によって描かれた、夜になるとその本性を現すという聖なる木の物語。「夜の木」というタイトルにふさわしく、その表紙には聖なる木が象徴的に描かれてあって、その背景は漆黒の闇を思わす手すきの黒い紙で装丁されている。これがまた、手すきならではの細かい毛羽立ちが温かみと深みを与えていて、それがインドならではの濃密で神話的な闇みたいに感じられて実に味わい深かった。そう、手の触感も心地よく刺激するんですね。絵本というよりは、もう工芸品だといいたい。しかもこの「夜の木」の表紙は、版が変わるごとに絵柄も変わるという懲りようなのだ。
でも、なによりも心が動かされたのは、その絵の世界観だった。夜になって辺りが漆黒の闇に包まれると、その本当の姿を現すとされる聖なる木。獣、鳥、蛇、さまざまな動物と木が一体化したようなその姿は、つつましげな小宇宙のようでもあって観る者の感覚をやさしく揺さぶってくる。いったいなんなんだろうか?この絵たちが放つこの不思議な引力は。
もともとゴンド族には、ゴンド画と呼ばれる伝統的な画法が代々伝えられていて、「夜の木」もその画法で描かれている。ゴンド画はゴンド族が村の儀式や祭りのときに神様への祈りをこめて家の床や壁に描いた絵が原点といわれていて、寓話や神話、動物・植物などをモチーフに精緻なパターン模様を描き込んでいく画風が特長だ。インドの先住民族であるゴンド族はヒンドゥー教にもイスラム教にも属しておらず自然を崇拝するアニミズム的な独自の信仰をもっているのだという。
たぶん、そこにあるんでしょうね、「夜の木」の絵が放つ引力の秘密は。いわゆる近代的なモダニズムにまったく毒されていない自由な世界観。表現もアーティストの純粋な自己表現ではなく、表現と信仰が分離される以前のもので、その信仰だってヒンドゥー教のそれとは違って擬人化されたような神様が信仰対象ではない。人間も自然の一部の存在に過ぎず、神とは自然そのものであって、それらは森の精霊のようなものとして描かれ、そこには崇拝もあると同時に畏れもある。
と、つまりは、そんな人たちが神話の物語を描くわけだから、そりゃあ迫力も違ってくるわけですよ。残念ながらモダニズムにどっぷりつかっている側の僕たちは、そういう創造力を失ってしまっている。だからこそ、「夜の木」の絵たちの魔力に、素直に、そして驚きをもって心を揺さぶられたい。
会場にはインクとペンだけで描かれたペン画もあって(冒頭の絵)、それはそれは唸りたくなりほど精緻だった。描かれた不思議な世界も夢に出てきそうなほどに神話チックで、この精緻な線のひとつひとつが、そのまま神様への祈りなのだろうということがつくづくよくわかる。
他にも「夜の木」だけでなく、「水の生きもの(Water Life)」「猫が好き(I Like Cats)」など、他のベストセラーの原画も展示されていて、また、実際の絵本なんかもあって、なんとうれしいことに触ってOK。だから、その素晴らしい工芸品のような絵本の質感も楽しめた。なんてったってオフセット印刷ではなく手刷りのシルクスクリーン印刷なのである。それはもうインクがのった凹凸までもが指で感じられるのだ。
う〜ん、こんな絵本で育つ子どもは幸せだろうなぁ。