芳年が描いた月

gekkaro

ただ輝くばかりの野暮ったい太陽よりも、深遠な月のほうがスーパークールでカッコいいじゃん。日本人の美意識をイマドキの言葉でいうと、そうなるのではないだろうか。古くから日本のアーティストたちは明らかに太陽よりも月に惹かれてきた。「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月」という酔狂な歌を詠んだ明恵上人しかり、「夕顔棚納涼図屏風」で、なんとも心にしみる絶妙なおぼろ月を描いた久隅守景しかり、直接、月を描かなくても「紅白梅図屏風」で、月光に照らされる梅の若木と老木を斬新に描いた尾形光琳しかり、中国の伝奇譚に影響を受けながらも、いかにも日本的な湿度のもとに仕上げた怪奇物語に「雨月物語」というタイトルをつけた上田秋成しかり、「名所江戸百景 猿若町の夜」で江戸時代とは思えないモダンな月を描いた歌川広重しかり…
で、そのラスボス的存在が、月岡芳年である。苗字に「月」の文字を戴く芳年は、血まみれの残虐絵でも名を馳せたが、その晩年は取り憑かれかのように月を描いた「月百姿」シリーズでも名を馳せた。

さて、そんな芳年の影響を激しく受けた現代の芸術家といえば横尾忠則である。で、その横尾忠則いわく、芳年が描く月はいわゆる「花鳥風月の月とはちょっと違う。」と、そうおっしゃっているんですね。さすがは影響を受けた本人の弁だといえるだろう。そう、それまで日本の多くのアーティストが表現してきた月は、風流な美しさをまとったものが多かった。ところが芳年が描いた月は、ときとして、ちょっと怖いような凄みが感じられるのである。なんていうか狂気をはらんでいるかのような美しく濃い密度があるのだ。

そんなふうに月を描いた芳年の大傑作といえば、やはり「藤原保昌月下弄笛図」(冒頭の絵)だろう。この絵は、月夜の晩に、ひとり笛を吹きながら歩く藤原保昌(ふじわらのやすまさ)を、草陰から襲おうとする盗賊・袴垂保輔(はかまだれやすすけ)が、まさに斬りかかろうとする瞬間を描いたもので、しかし保昌のあまりの隙のなさに保輔は手が出せない。それを芳年は、まさに草木一本揺れたその瞬間に事が起きそうな、緊張感みなぎるシーンとして描いているのだけれども、その緊張感を支配しているのが、ほかでもない、左上に描かれたうっすらと雲がかかっている満月なんですね。この月にかかる雲が風によって取り払われて月光があたりを明るく照らしたその瞬間に保輔が斬りかかる。そう感じずにはいられない。どうでしょう。そんなふうに見るとこの絵の影の主役はやはり月なんですね。月の得体の知れない美しさを熟知した芳年だからこそ、月にそのような演出効果を持たせて描くことができたのではないだろうか。

かつて桜の花の美しさに取り憑かれた西行法師は「春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり」と、その狂おしいような思いを、見事にに歌で表現したけれども、芳年もまた、最後の浮世絵師の雄叫びとでもいわんばかりに、自分の心を支配している畏怖すべき月の美を、見事に描ききったのではないだろうか。
なんせ今夜は中秋の名月。満月を見上げながら「ああ、きれいだなぁ」だけでは名月に申し訳ないので、芳年が描いた月に思いを馳せてみた。

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