お月さまはどこからやってきたの?

ある夜おそく公園のベンチにもたれているとうしろの木立に人声がした
「おくれたね」
「大いそぎでやろう」
カラカラと滑車の音がして東から赤い月が昇り出した
「OK!」 そこで月は止まった
それから歯車のゆるゆるかみ合う音がして月もゆっくり動きはじめた
自分は木立のほうへとんで出たが
白い砂利道の上には只の月の光が落ちて
聞こえるものは樅の梢をそよがす夜風の音ばかりだった
(稲垣足穂「一千一秒物語/月をあげる人」)

 

稲垣足穂の「一千一秒物語」の中に「ポケットの中の月」という話がある。こんな話だ。ある晩のこと、月がポケットに“自分を入れて”歩いていた。坂道で靴紐がほどけたので、それをむすび直そうとかがんだら、ポケットから自分が(つまり月が)転がり落ちて、坂道をころころと転がっていった。月はそれを追いかけたが、転がり落ちていく月のほうがスピードが速く、月と月の距離はどんどん離れていって、そうして月は坂道の下の青い靄の中に“自分”を見失ってしまった。
「ポケットの中の月」は、足穂の「一千一秒物語」の中でもひときわ人を喰ったような奇妙な味のある話だったりするけれど、さて、月とはいったいなんであるのか?夜空を見上げると当たり前のようにぽっかりとそこにある月。それは一体どこからやってきたのだろう。これまでにいろんな説があった。たとえば、今から46億年前に原初の太陽が超新星となって大爆発を起こしたときにその残骸が太陽系をつくった。で、そのときに地球も月も誕生したという「地球と月の兄弟説」。なんとなくもっともな説のような気がするが(実際、長らくそう信じられてきた)、アポロが月に行って月の石を持ち帰って分析したところ、月の石と地球の化学組成は似ていたものの、そこから地球にはない物質が検出された。もし、地球と月が兄弟であるならば、組成は同じはずで、そんなふうに部分的に似ているということは考えにくい。
あるいは地球がまだどろどろのマグマの塊だったころ、地球の自転の遠心力で地球の一部分が飛び出して月ができたという「地球と月の親子説」。でも、それほどの強い遠心力(自らの引力を吹っ切ってしまうほどの遠心力)を出すためには、地球はありえないスピードで自転していたということになる。だからそれも考えにくい。もしくは月はどこかからやってきて、それを地球の軌道が捕らえてしまったという「地球と月のもらいっ子説」。しかし、天体が別の天体を捕らえてしまう非常に低く、また、部分的に似ているという、地球と月の組成についての説明にもなっていないということで、やっぱりこの説も考えにくい。

さて、1975年のこと、地球と月の成り立ちを説く、ものすごく斬新な仮説が登場した。

それはこんな説である。地球がまだできて間もないころに、地球の1/2という火星ぐらいの大きさの星が、時速10万kmという、とんでもないスピードで地球に衝突したのだという。その勢いで地球のマントルがもぎ取られて、それが、衝突して砕け散った星の残骸の一部と一緒の塊になって月が誕生したのだというのだ。このなんともワイルドでダイナミックな説を「ジャイアントインパクト説」という。この説が世に出たころは、あまりに斬新で支持する学者もそれほど多くなかったが、この説であれば、月はもぎ取られた地球のマントルと衝突した星の残骸でできているので、地球と月の組成が部分的に似ているということも説明できる。また、天体好きの方ならよくご存知のように、地球の自転軸はなぜか23.4度傾いている。これも長らく謎とされてきたことだったけれど、そう、この傾きは衝突の衝撃によってできたと考えれば辻褄があってしまうのだ。ちなみに地球儀も、よく見ると軸が傾いてますよね?あれは、この23.4度を忠実に再現していたりするんですよ。

今、ぼくらが風流な月を愛でることができるのも、この宇宙のダイナミックな“衝突事故”があったからである。もしもその星の衝突の角度が違っていたら、地球も木っ端微塵になっていたはずだ。しかし、絶妙な角度で衝突したから、足穂を夢中にさせた、独特の風情を持つ月が生まれた。また、自転軸が23.4度傾いたおかげで、地球に“季節”という豊かな気象現象が生まれた。さらにいうならば、月が誕生したころは、月と地球の距離は2万kmしかなかったという(現在は38万kmだ)。海の潮汐は太陽と月の引力によるものだけど、月と地球の距離が2万kmだったころの月の引力は当然すさまじく、海は常に大津波のような状態だったと推測されている。そのために海水はよくかき混ぜられて均質になり、それが生命誕生にも影響したのであると。う〜ん、そうならば、衝突のために砕け散ってしまった星は気の毒だったかもしれないけれど、ぼくらはその衝突に感謝すべきなんですね。
ぼくらの頭上にある月。それはかつては地球の一部であった。それを思いながら月を見上げると、なんとも不思議な気がする。ちなみに月は今でも1年に3cmのスピードで地球から離れている。足穂の書いた「ポケットの中の月」は月がポケットの中に入れた月を坂道で落っことし、転げ落ちていって青い靄の中に見失ってしまう話だったけれども、まるでその話のネガのように、現実では、地球とかつての地球の一部が離れていこうとしているのだ。足穂の形而上学的想像力は、直感的にその驚くべき現実に触れていたのかもしれない。

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2018-10-08 | Posted in サイエンスNo Comments » 

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